海外旅行歴1 海外にはまる(1987〜1995年) |
2.マイルとタイにはまる(1996〜2002年) 3.RTWを始める(2003〜2007年) 4.(2008年〜) |
概ね、1年に1回ヨーロッパへ出かけることを楽しみにしていた頃です。 ホテルも予約せず、行き当たりばったりで、あっちへフラフラ。こっちへフラフラ。なかなか楽しかったものです。 |
1.1987年3月(22泊26日) | |
旅行先 |
ギリシャ(アテネ) イタリア(ローマ、フィレンツェ、ピサ、ミラノ、ベネチア) オーストリア(ウィーン、ザルツブルグ) 西ドイツ(ミュンヘン、ケルン、フランクフルト、ハイデルベルグ) スイス(バーゼル、インターラーケン、グリンデルワルド、ジュネーブ) フランス(パリ、ベルサイユ) ベルギー(ブルージュ) スペイン(マドリッド) イギリス(ロンドン) |
ルート |
1〜2:東京(KL)アンカレジ(KL)翌日アムステルダム(KL)テッサロニキ(ダイバード)(KL)アテネ2泊 4:アテネ(SR)ジュネーブ(SR)ローマ3泊 7:ローマ(鉄道)フィレンツェ(鉄道)ピサ(鉄道)フィレンツェ泊 8:フィレンツェ(鉄道)ミラノ(鉄道)ベネチア泊 9〜10:ベネチア(鉄道(夜行))ウィーン2泊 12:ウィーン(鉄道)ザルツブルグ(鉄道)ミュンヘン泊 13:ミュンヘン(鉄道)ケルン(鉄道)フランクフルト泊 14:フランクフルト(車)ハイデルベルグ(車)フランクフルト泊 15:フランクフルト(鉄道)バーゼル(鉄道)インターラーケン泊 16:インターラーケン(バス)グリンデルワルト(クライネシャイデックでスキー)(鉄道)インターラーケン泊 17:インターラーケン(鉄道)モントレー(鉄道)ジュネーブ泊 18:ジュネーブ(鉄道)パリ2泊 19:パリ(鉄道)ベルサイユ(鉄道)パリ泊 20:パリ(鉄道)ブリュッセル(鉄道)ブルージュ(鉄道)ブリュッセル(鉄道)パリ泊 21:パリ(AF)マドリッド2泊 23:マドリッド(KL)アムステルダム(KL)ロンドン2泊 25〜26:ロンドン(KL)アムステルダム(KL)アンカレジ(KL)翌日東京 |
航空券 | IT航空券(ツアー):東京−アムステルダム−アテネ−ジュネーブ−ローマ/パリ−マドリッド−アムステルダム−ロンドン−アムステルダム−東京(アテネ−ローマはアリタリアでリクエスト) |
初めての海外旅行はヨーロッパ。一生に一度のつもりで出かけたのが、こんなに海外旅行に嵌ってしまうとは。言葉に自身が無い為、自由旅行は考えてもみなかったのでツアーにする。このツアーは殆どが自由時間で、ローマからパリまでの移動はユーレイルパス14日間を使用により移動も自由。宿泊代に含まれてるホテルはあるものの、宿泊しなくても問題なく、気分は殆ど自由旅行。これで自身を付けてしまい、以後の旅行は自由旅行主体となってしまう。 初めての国際線はKLM。比較的良い印象をもってますが、今はどうなんでしょう。その後、乗ってないもんで。ちなみに、スイス航空は○。しかし、もう無い。エールフランスは×。3社で特に酷いということでもないが、乗務員のイメージが良くない。この時のイメージがあり、その後もあまり乗りたくない会社になっています(今ではKLMとAFは経営統合)。 ギリシャ:アテネでもらった地図の写真に写るスニオン岬へ行きたく思うが、バスではるばる行く場所とわかった時は 何年ぶりかでの大雪。 イタリア:食べ物が旨く、建造物もすばらしく、好きになりました。 オーストリア:居心地の良さに、その後、何度も足を運ぶ。 西ドイツ:ミュンヘンのビール。インターシティ列車の快適さ。ここも気に入りました。走り屋の友人に車を運転してもらう。 スイス:グリンデルワルドでスキーをしました。 フランス:パリは期待はずれと聞いていたので、期待半分で行きましたが、誰だ、期待はずれと言った奴は。 ベルギー:ブルージュが良いと聞いて行ってみたが寒かった。 スペイン:ここも期待半分で行ったが、ワインが飲めれば満足。 イギリス:帰ることの寂しさと寒さで、あまり印象は良くないです。食べ物のまずさには驚いた。 当時は、まだアンカレジ経由の北回りが一般的なヨーロッパへの飛行ルート。アムステルダムまで16時間程のフライトだが、アンカレジで飛行機を降りられるのは楽だった。しかし、海外第一歩のアンカレジで真っ先に目に付いたのが、立ち食いうどんだったのには驚いた。免税店も日本のおばちゃん。アムステルダムのスキポール空港には3回立寄っているが、オランダには入国していない。 |
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2.1988年2〜3月(23泊34日) | |
旅行先 |
イギリス(ロンドン、ウィンザー) オランダ(アムステルダム) スイス(チューリヒ、ルッツェルン、ルガノ) イタリア(ミラノ、ナポリ、ソレント、ローマ、フィレンツェ) オーストリア(インスブルック、ウィーン、グラーツ) 西ドイツ(ミュンヘン、マンハイム、ニュルンベルグ、ブレーメン、ハンブルグ、リューベック、 ハノーバー、ハメルン、ツェレ、ケルン、フランクフルト) スウェーデン(ストックホルム) ノルウェー(ナルビク) デンマーク(コペンハーゲン) フランス(ストラスブール、パリ) スペイン(バルセロナ) |
ルート |
1:東京(JL)ロンドン2泊 3〜5:ロンドン(バス)ウィンザー(バス)ロンドン(鉄道)ハリッジ(船(夜行))フック・フォン・ホランド(鉄道) アムステルダム(鉄道(夜行))バーゼル(鉄道)チューリヒ(鉄道)ルッツェルン(鉄道)チューリヒ2泊 7〜8:チューリヒ(鉄道)ミラノ(鉄道(夜行))ナポリ(鉄道)ソレント(鉄道)ナポリ(鉄道)ローマ泊 9:ローマ(鉄道)フィレンツェ(鉄道)ミラノ(鉄道)ルガノ泊 10:ルガノ(鉄道)チューリヒ泊 11:チューリヒ(鉄道)インスブルック(鉄道)ミュンヘン泊 12:ミュンヘン(鉄道)マンハイム2泊 14〜15:マンハイム(鉄道)ミュンヘン(鉄道(夜行))ウィーン(鉄道)グラーツ(鉄道)ウィーン2泊 17:ウィーン(鉄道)ニュルンベルグ泊 18:ニュルンベルグ(鉄道)ハノーバー(鉄道)ブレーメン泊 19〜21:ブレーメン(鉄道)ハンブルグ(鉄道)リューベック(鉄道(夜行)) ストックホルム(鉄道(夜行))ナルビク泊 22〜24:ナルビク(鉄道(夜行))ストックホルム(鉄道(夜行)) コペンハーゲン(鉄道)ハンブルグ(鉄道)ハノーバー(鉄道)ハメルン(鉄道)ハノーバー泊 25:ハノーバー(鉄道)ツェレ(鉄道)ハノーバー(鉄道)ケルン泊 26:ケルン(鉄道)フランクフルト2泊 28:フランクフルト(鉄道)ストラスブール2泊 30〜31:ストラスブール(鉄道)パリ(鉄道(夜行))バルセロナ泊 32:バルセロナ(鉄道)アビニョン(鉄道)パリ泊 33〜34:パリ(JL)翌日東京 |
航空券 |
格安航空券:東京−ロンドン/パリ−東京 (欧州系キャリアが希望だったのだが・・・。12時間の直行よりアンカレジ経由の方が、当時は楽に感じた) |
しっかり、味をしめたヨーロッパ旅行。2回目は自由旅行です。大雑把なルートは決めたものの、行き当たりばったりなので、効率悪いルートもチラホラと、しかし、宿泊代節約も兼ねて夜行の連泊と、今から見返すとめちゃくちゃです。また、この頃、「世界の車窓から」が始まり、乗った路線は影響を受けてます。これだけ長く行ってると、ふと知り合ってつるんでることも結構ありました。 イギリス:前回は旅の終わり。今回は旅の開始。ロンドンは懐かしく思う。 オランダ:前回は空港だけのアムステルダムに行く。運河は良いですね。美術館も然り。 飾り窓。この時以来、風俗街探訪も楽しみの一つとなりました。行きたいと思って、行ってない街のひとつです。 スイス:雪に山に湖に、ここも列車に乗ってるだけであきません。ゴッタルド峠。列車によるアルプス越えが 恒例となる。チューリヒにイタリアの前後で泊まってるのは荷物を置いたままだったので、しかし、イタリアから 戻った時は熱を出しました。 イタリア:泥棒天国のナポリへ。公園を歩いてるとサッカーに誘われたりと、これも楽しい思い出です。 オーストリア:ここでは列車でアールベルグ峠とセメリング峠を越えています。また、前回は天井桟敷から見たオペラを、 今回は着飾って見てみてます。 西ドイツ:一度、通り過ぎたマンハイムに戻ったのは、Bミュンヘンの試合を見るために行く。アルゼンチン大会以来、 ワールドカップサッカーは欠かさず見ていたので、この頃から、プロサッカーにもはまりだす。 しかし、帰国後、唯一のプロサッカー番組だったダイヤモンドサッカーが放映終了。 この時にベルリンの壁を見なかったのは、今でも心残りです。 スウェーデン:北欧に行ってみたくて行くが税金が高くて、酒も煙草(当時は喫煙者)も高くて。ナルビクから戻ってきても、 列車の予約が取れずにストックホルムに半日足止め。 ノルウェー:最北の駅ナルビクを目指すが、やっぱり居るんですね同年代の日本人が。当初はボードーに下り、 オスロ、ベルゲンを回るうことも考えるが、ナルビク到着が日曜でノルウェーの通貨に両替できずに断念。 (宿泊したホテルで何とか両替) 知り合った日本人と一緒にドイツまで帰りました。 デンマーク:物価の高い北欧が終わると一安心。早くドイツで思いっきりビールを飲みたい気分。 フランス:ストラスブール再訪はしてませんが好きな街です。パリも良いですね。 スペイン:北欧の日程を切り上げたので、思い切って出かけたのがバルセロナ。しかし、嫌な目にも会いました。 行った国のリストには加えてないが、一応、チューリヒ−インスブルック間でリヒテンシュタインの領内は通過している。 |
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3.1990年9月(6泊10日) | |
旅行先 |
スイス(チューリヒ) 西ドイツ(ミュンヘン、パッサウ、フランクフルト) オーストリア(ウィーン) ハンガリー(ブダペスト) 韓国(ソウル) |
ルート |
1〜2:東京(KE)ソウル(KE)モスクワ(KE)翌日アムステルダム(KE)チューリヒ泊 3〜4:チューリヒ(鉄道)ミュンヘン(鉄道(夜行))ウィーン(鉄道)ブダペスト泊 5:ブダペスト(鉄道)ウィーン泊 6:ウィーン(鉄道)パッサウ泊 7:パッサウ(鉄道)ニュルンブルグ(鉄道)フランクフルト泊 8〜9:フランクフルト(KE)アンカレジ(KE)翌日ソウル泊 10:ソウル(KE)東京 |
航空券 | 格安航空券:東京−ソウル−チューリヒ/フランクフルト−ソウル−東京 |
社会人になって最初の海外旅行です。宮本輝の「ドナウの旅人」を読んだ後だったこともあり、目的地はブダペスト。前回の旅行でも足を伸ばそうか迷ったところです。ブダペストに行くのに決して便利でない大韓航空を選んだのは、ルートを見るとわかりやすいですが、ほぼ世界一周なのです。しかも、当時は韓国とソ連に正式に国交は無かったのですが、国交に先立ちシベリア経由のモスクワ寄港も始まったのも、このルートを選んだ理由です。冷戦の終わりを実感したものでした。しかし、当時の大韓航空は良いイメージはありません。 スイス:シベリア経由も夜行便。またアムステルダムを素通りし、着いた時は眠かった。 西ドイツ:パッサウは初めて。ここで、のんびりできた以外はミュンヘンもフランクフルトも慣れた光景です。 オーストリア:ハンガリーのビザ取得。戻ってきて一泊とブダペストへの拠点。 ハンガリー:早々と市内を見て温泉に入り楽しみました。また来ようと思っても、次に来たのは15年後です。 韓国:実は宿泊の予定は無かったのですが、帰りの便が遅れ、韓国に強制入国。シェラトンに1泊です。 翌日からの出勤予定が・・・。 翌日の出発時間も早く、ホテル往復とホテル内だけで終わりました。そして、成田に着けばロスト・バッケージの おまけです。 ロスバケに会い、経由便の利用はしばらく考えないようになる。 |
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4.1991年6〜7月(8泊10日) | |
旅行先 |
ベルギー(ブリュッセル) ドイツ(マンンツ、フランクフルト、ミュンヘン、ベルヒテスガーデン) スロベニア(リュブリャーナ) オーストリア(ウィーン) |
ルート |
1:東京(SN)モスクワ(SN)ブリュッセル2泊 3:ブリュッセル(鉄道)ケルン(鉄道)マインツ(鉄道)フランクフルト(鉄道)マインツ泊 4:マインツ(鉄道)マンハイム(鉄道)ミュンヘン泊 5:ミュンヘン(鉄道)フィラッハ(鉄道)リュブリャーナ泊 6:リュブリャーナ(鉄道)ザルツブルグ(鉄道)ベルヒテスガーデン泊 7:ベルヒテスガーデン(鉄道)ザルツブルグ(鉄道)ウィーン2泊 9〜10:ウィーン(OS)モスクワ(OS)翌日東京 |
航空券 | 格安航空券:東京−ブリュッセル/ウィーン−東京 |
夏前のヨーロッパがこんなに日が長いとは思わなかった。航空券はANA。でも、欧州系キャリアに乗りたかったので、往復とも共同運航便の利用でサベナとオーストリア。ANAのCAも搭乗しています。前回、意外と味をしめたのがモスクワ経由便。北回りより早く、直行便より1フライトの時間が短い。モスクワでキャビアも買える。しかし、往きのサベナはモスクワに降りても機外に出られなかったのは残念。また、湾岸戦争の影響で航空料金がも下がりました。スロベニアは独立直後。内戦の危機も噂されてましたが、列車も動いてるので行ってみる。本当はクロアチアまで足を伸ばすつもりでいたのだが、リュブリャーナの街の緊張感と、人も少ない市内は静かすぎて面白みが無く、クロアチアへ行くのもあきらめスロベニアを後にする。スロベニア内でユーゴスラビアの戦車が威嚇行為を行っていた模様ですが、その後のクロアチアの内戦を考えると平和ぼけの日本人でした。 ベルギー:パリからブルージュに行った時に、ブリュッセル観光ができなくなくもなかったのですが、 あの時は雨が強くて、駅のカフェから出られませんでした。ここも今回、気に入った街となりましたが、 その後に一回行ったきりです。 ドイツ:ドイツも統一されました。フランクフルトも飽きたのでマインツに宿泊。しかし、フランクフルトにも足を伸ばしてます。 クロアチアへ行くのを止め、行ってみたのがベルヒテスガーデン。ブリュッセルの美術館で見たマグリットの アルンハイムの領地を、ヒトラーの別荘のあった場所と重ね合わせてしまい、つい、行ってしまいました。 また、開業直後のICEに乗車してます。 オーストリア:久々のアルプス越えはタウエルンルートです。ウィーンでは何をしたんだろうか? 東欧に関心が向いていたのも、ここで一区切りです。 |
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5.1992年12月〜1993年1月(8泊10日) | |
旅行先 |
ドイツ(ミュンヘン、フランクフルト) イタリア(ローマ、ナポリ、トリエステ、ベネチア) |
ルート |
1:東京(LH)フランクフルト(LH)ミュンヘン泊 2:ミュンヘン(LH)ローマ泊 3:ローマ(鉄道)ナポリ(鉄道)ローマ3泊 6:ローマ(鉄道)ベネチア(鉄道)トリエステ泊 7:トリエステ(鉄道)ベネチア泊 8:ベネチア(鉄道)ベローナ(鉄道)ミュンヘン泊 9〜10:ミュンヘン(鉄道)フランクフルト(LH)翌日東京 |
航空券 | 格安航空券:東京−フランクフルト−ミュンヘン−ローマ/フランクフルト−東京 |
海外旅行の行き先はヨーロッパ以外は考えられない。そろそろ、B747-400に乗らないとと思い初のルフトハンザ。向かった先はイタリア。ここ数年は東欧に関心が向いていたのを、久しぶりにイタリアに向かってみる。ローマでは、この頃、好きだったフリットのいたACミランの試合を見ました。 ドイツ:毎回のドイツも、日本への発着にちょっと寄れれば良いと思うようになりました。 ビールとソーセージだけで満足です。 イタリア:やっぱり好きです。もっと、行くべき場所が一杯です。ETR450に乗車。 今回のアルプス越えはブレンナー峠です。 一応、オーストリア国内も通過し、列車内で入出国の手続きもしています。 |
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6.1994年9月(6泊7日) | |
旅行先 |
香港(香港) マカオ(マカオ) |
ルート |
1:東京(CX)香港3泊 4:香港(船)マカオ(船)香港3泊 7:香港(CX)東京 |
航空券 | 格安航空券:東京−香港−東京 |
遅ればせながら、沢木耕太郎の「深夜特急」を読み、アジアに行こうと思うようになり手始めは香港。ヨーロッパでも行き当たりで宿を見つけて入ることを常としていたので、また、軽いバックパッカーののりもあったので、重慶マンションに泊まるのも、当時はそれほど抵抗はなかった。また、この頃は行き先のキャリアを極力使用しようと考えていたので、キャセイ以外の利用は考えなかった。この頃からキャセイ好きも始まる。そして、3年後の返還までは年に一度は来ようと思うようになる。また、この頃、煙草をやめている。後方の喫煙席から前方の禁煙席に座って思ったことは、ガラの悪そうな人が殆どいなく、客層の違いを感じたものでした。 香港:物価も安く感じ。わざわざ、ヨーロッパへ行かなくても楽しいところがあることを知る。1週間居続けて飽きることは 無かった。 マカオ:ここも香港とは違う面白みがありました。もう少し、早く帰ろうと思ってたのが、香港着は午前様です。 |
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7.1994年11月(4泊5日) | |
旅行先 |
香港(香港) 中国(深圳) |
ルート |
東京(CX)香港泊 香港(鉄道)深圳2泊 深圳(鉄道)香港泊 香港(CX)東京 |
航空券 | 格安航空券:東京−香港−東京 |
香港へ行く気楽さを覚え、すぐにフラーっと来てしまいました。今回は中国にも足を踏み入れます。 香港:まだまだ、重慶マンションが常宿です。 中国:実は、地元のホテルに入るのをためらい、飛び込んでしまったのが駅前のシャングリラ。 でも、そんなに高くなかった気はする。今から思うと何があるわけでもないが、中国に入国したといっても、 一般の中国人が来ることができなかった深圳経済特区限定。ビザを取ってまで中国へ行くことを 考えていなかったので、中国疑似体験を楽しんでたのでしょう。火鍋を食べました。 |
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8.1995年10月(7泊10日) | |
旅行先 |
イタリア(ローマ、ナポリ、レッジオ・カラブリア) ドイツ(ミュンヘン、フランクフルト) 香港(香港) |
ルート |
1〜2:東京(CX)香港(CX)翌日ローマ(鉄道)ナポリ泊 3:ナポリ(鉄道)レッジオ・カラブリア(鉄道)ナポリ2泊 5:ナポリ(鉄道)ローマ泊 6:ローマ(鉄道)ミュンヘン泊 7:ミュンヘン(鉄道)フランクフルト泊 8〜9:フランクフルト(CX)翌日香港泊 10:香港(CX)東京 |
航空券 | 格安航空券:東京−香港−ローマ/フランクフルト−香港−東京 |
香港にも行け、ヨーロッパにも行ける。そんな航空券はキャセイしかありません。いつもはローマから日帰りのナポリに宿泊です。しかし、未だにポンペイ、カプリには行ってません。 イタリア:ナポリ宿泊は荷物の盗難防止で避けてたのですが、問題ありませんでした。朝のレッジオに向かう列車が 量産前のETR500だったので、半島の爪先の先まで足跡を残したくもあったので飛び乗ってしまった。 ドイツ:イタリアにもっと居たかったのだが、フランクフルトにも宿泊してるのはキャセイの出発が午後一だった為です。 香港:約束の時間まで部屋を使うことができなかったので、いつまでもバックパッカー気取りでもないと 重慶マンションの利用もこれを最後にする 東京へ向かうキャセイの機が搭乗後に機材変更。翌日からの仕事を考え、最終便の1便前で予約したが最終便より到着が遅れたのは想定外。23時頃の成田到着で東京駅まではキャセイ手配のバス。そこからのタクシーは後日清算。アジア経由ヨーロッパは予定通りには帰ってこれない。 |
旅行先 太字:初訪問国、初訪問地 ルート 灰字:トランジット、主な乗換え(チケット上のトランジットでなく、空港を出て何かした場合は含んでません。 また、チケット上はストップオーバーでも、入国しても、空港周辺から出てなければトランジットとしてます) 太字:初搭乗航空会社 AF:エールフランス、CX:キャセイ・パシフィック航空、JL:日本航空、KE:大韓航空、LH:ルフトハンザ航空、 OS:オーストリア航空、SN:サベナ・ベルギー航空、SR:スイス航空 |
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